最近の出来事
目の調子が悪くなってからすっかりこのブログの更新ペースも落ちてしまった。
この間、何をしていたかと言えば、このブログの閉鎖に向けて準備をしていたのであった。
日々暮らして行く上で、僕の個人的な経費を見直しをしていて、その一環としての判断だ。
7月でこのブログも開設して満2年になる。で、1年前にも一度検討したのだが、noteに場を移転しようと考えている。
そもそもこのブログは「Word PressをCSとしたサイトの構築を自分ひとりでやってみる」という、実証実験のために立ち上げたものであった。
そしてそれはある程度の感触を得る事が出来たし、広告収入もなく、アフィリエイトも物販もやらずに、ただひたすら自分マガジンを書き続けるだけならnoteで十分出来ると1年前から感じていたのだ。
サーバーの契約更新が7月なので、切り替えるタイミングは今である。今やらないとまた1年このままとなる。
と言うことで、今後はnoteに表現の場を移すつもりである。
これまでの記事はアーカイヴ出来ないので見れなくなるだろうが、僕としては同等のクォリティのものをこれから書いていくつもりなので、あまり惜しいとも思ってない。
曲がりなりにも独自ドメインを取ってまでして、ブログで公衆に向かって発信している以上、それを読んだ人が何を感じ取ってもその人の自由だろう。それは分かっているのだが、もう僕の病気のことを書くのはやめようと思っている。その方がいい様な気がするんで、、、。
話は変わるのだが、、、。
5月21日に母が亡くなった。93歳であった。
16年前に脳梗塞を起こし、以来長年の車椅子生活の末だった。本当にお疲れ様だし、親不孝で申し訳なかったと思う。この間、母の世話をしてくれていた姉にも感謝しかない。
亡くなる2週間ほど前、入院先の病院から電話があり、呼吸機能が著しく低下しているので、いつ停止してもおかしくない状態であると言われ、その時に一度、名古屋から戻った。
これが最後になるだろうという覚悟を決めるために母に会いに行ったのだ。
多少の認知症もあったし、昨年の夏以降、ほとんど言葉を発することも無くなっていた母なのだが、この時はしっかり目を開いて、安定している状態で会うことが出来た。
「ありがとう」と感謝の意と「親不孝で済まない」という詫びの意を僕なりに伝えた。臨終にはきっと立ち会えないので、この時が実質お別れであった。

常に自分のことは後回しで、自己主張することなく、穏やかで優しい人であった。
36年前に亡くなっている父が少し破天荒というか、夢の大きな人物だったので、心配性の母としてはいろいろ不安もあった事だろう。
加えて僕が音楽の仕事がしたいなどとふざけたことを言ってこれまで好き勝手に生きて来たので、きっとそれも辛かっただろうと思う。
今更ながらそんな風に思う。
悲しくは無いが寂しくはある。心の中に少しだけ空虚な部分が生じている、そんな気分だった。
葬儀を済ませ、名古屋に戻って1週間ほど経った今朝、1本のLINEのメッセージを受信した。
姪が第1子を授かったという知らせだった。
少しお転婆なこの姪っ子は、夫婦で趣味のモトクロスに夢中で、先日の葬儀の際に会った時も、翌日にレースに出場するために大阪から日帰りしていた。なので、子供はまだまだ先だと思っていた矢先の知らせだった。
じんわりと込み上げてくる静かな喜びがあった。
心の中に生じたあの空虚な部分をそっと埋めてくれる様な、そんな知らせだった。
これは母からのギフトである。そう受け取っていいだろう。
少なくとも僕がそう思うのは、僕の勝手である。
そして思うのだ。
「お母ちゃん、ありがとう。何から何まで。」
最後の最後まで本当に優しい母であった。