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カレー移民の謎〜日本を制覇する「インネパ」〜 / 室橋裕和

ここ最近の僕の疑問に答えてくれる本だ。

「なぜネパール人は日本でインド・カレー屋をやるのか?」

テレビで印度カリー子さんのスパイス・カレーの作り方を見て以来である。僕がこの疑問を持ち始めたのは。

そのレシピは実際簡単で美味しかった。このブログのメシ・コーナーでもその作り方を載せた通りである。そしてレシピ本も購入した。作ってみたいカレーが沢山載っていて、もっとスパイスの使い方も知りたくなった。

そして正解の味、すなわちインドの本当の味が知りたくなった。インドほどの大国なのだから、その種類も豊富なはずだ。元々インドへの興味は30年来抱いている。

まず正解の味が知りたい。ジャマイカでライス&ピーズの作り方を知った時の様に。

なのに巷にはインド料理と言いつつ、ネパール人の経営するカレー屋が溢れている。美味しいけれど、いつも思うのは「またこの味か」ということだった。

「オレはインドのカレーが食べたいのだ!」

だから脱ネパールのカレー屋に行くことは喜びだった。このブログでも訪れた店の中でも、飛島の「インターナショナル・ヴィレッジ」は完全に違う方向性の味で大変美味しかった。

当初僕はこの「同じ味」問題を、ネパールはインドの北部と国境を接しているから、カレーの味も似ていて、北インド風のカレーをお店で出しているのかと思っていた。それともフランチャイズ展開する組織があるのか?

そんな時、ある朝、新聞広告で目についてのが本書なのである。即購入して読んでみた。疑問は解消し、最後まで読み切った後に軽い衝撃が残った。

これは物欲にまみれたこの拝金至上主義の現代社会が産み出した悲劇であり、この先世界中のどこでも起こり得る問題であった。

この本はそういった「インネパ」の謎に迫る内容である。

本書を読み解くに当たって、いくつか押さえておくべきポイントがある。

まず最初にネパールという国が世界屈指の「出稼ぎ国家」であるということだ。

人口3000万人の山岳国家ネパールは観光と農業以外これといった産業がない。国民の年間所得の平均が20万円程度で、人口の40%が貧困層だ。そのため人口の10%程度に当たる300万人が海外に出稼ぎに出ていて、その仕送りが母国にもたらす金額は1兆円を超え、GDPに占める割合は約30%にも上るのだという。

次にネパール人は長年に渡ってインドでコックとして働いてきたという歴史的な背景もあるらしい。

カースト制のあるインドでは、その風潮の影響で何事にも「分業」する考え方が根底にあり、料理の現場でも、鍋担当なら鍋だけ、窯担当なら窯だけ、皿洗いなら皿洗いだけ、みたいな働き方が割と普通らしい。そこでネパール人はオールマイティに何でもするところから重宝されて来たのだという。インド料理店でネパール人が働くというのは元々インドでも珍しいことではないのだ。

本書は、インネパの源流、増加した時期とその背景、カレー・ビジネスの闇、振り回される子供達の悲劇、ネパールの現状、などを順を追って解説していく。

まず僕の最大の疑問、「なぜ同じ味なのか」問題。

あのバター・チキン・カレー、タンドール・チキン、ナン、という3点セットは、一般的なインド料理ではなく、ましてやネパール料理などではないということだ。じゃあ何かと言えば、それは「日本人用にカスタマイズ&標準化されたインド風のカレー」なのである。

その源流は最初はインド人らしい。日本に亡命などしていたインド独立運動家だった人たちが、戦後日本に残り、インド・レストランやインド食材の輸入などを始めた。その中の一つに新宿の「アショカ」というお店があり、そこはインドの5つ星ホテル「タージ・グループ」が日本で手掛けたレストランで、その株主にはエア・インディアもいたのだという。

そこで日本でインド料理を提供するからには、やはり高級なものを出すべきだ、という考え方のもと、16世紀から19世紀にかけてインドを支配したムガル帝国の宮廷料理「ムグライ料理」を基本としたらしい。その「ムグライ料理」が、例のタンドール窯を使用するのだ。株主エア・インディアの協力があって、日本初のタンドール窯が新宿アショカにもたらされた。

当然そんなものはインドの一般家庭などにあるはずがない。だがらナンは焼けない。だから食べない。

そこからバター・チキン・カレー、タンドール・チキン、ナン、という3点セットの歴史は始まる。その厨房にはインド人に雇われた多くのネパール人が働いていたのだ。

彼等ネパール人コックは必死に働き、お金を貯め、やがて独立し、自分の店を持ち、ネパールから親戚を呼び寄せる。そしてそこで前職の店と全く同じメニューを出す。その理由には「絶対に失敗したくない」という切実な気持ちが込められているのだ。

その店がうまく廻り始めると、またネパールから親戚を呼んで働かせる。数年するとその彼も独立し、また親戚を呼び寄せて、同じ味のカレー屋を開く。その過程で「成功の味」は、より日本人向けに、より甘く、油は少なく、スパイスはほどほどにと、カスタマイズされ、あたかもコピー&ペーストの如く、広まって行ったのだという。

ちなみにネパール料理というのはスパイスなどあまり使ってなく、もっと全然素朴な味らしい。

インネパの増加はこうした理由に加えて、日本国内の制度の緩和、成功したネパール人が始めた人材派遣ブローカー・ビジネスなど、いくつかの要因と相俟って、20世紀末から10年代にかけて急増した訳だ。

こうした事柄を本書では緻密な在日ネパール人に対する直接取材によって紐解いて行く。中々に骨太な読み応えのあるルポルタージュだ。

個人的にひと際興味が湧いたのは、名古屋におけるインネパの歴史である。

名古屋にインネパが広まったルートには2つあり、ひとつはインド人と日本人の共同経営で80年代に1号店がオープンした栄の「アクバル」で、ここは名古屋どころか東海地方初のインド料理店らしい。もうひとつが日本人経営の、僕に家の近く覚王山にある「えいこく屋」なのだという。

「えいこく屋」は今でもその業態の軸のひとつである紅茶の販売から始まった。そしてその日本人経営者の方が、紅茶の仕入れのためにインドやスリランカを訪問するにつれ、インド料理が好きになり、客単価の安い紅茶だけでなく、ある程度値の張る本格インド・カレーも提供しようと思いついて始めたのだそうだ。そこで紹介されて来日したネパール人(なんで!?)、ヘムラル・ギリさんをはじめとする「ギリ一族」が、名古屋、愛知県、東海地方を始め、北海道や日本全国に散っていき、インネパを広めて言ったのだという。。

そういうオリジンの店は同じインネパでも他店とは一線を画すらしい。「アクバル」も「えいこく屋」も近いうちに行ってみようと思う。

もうひとつ面白いと思ったのは、日本でカレー屋で働くネパール人は、ネパールの中でもガンダキ州バグルン郡のガルコット村というところ出身の人があまりにも多いということだ。

その背景は2世紀ほど遡り、イギリスがインドを植民地支配していた19世紀初頭、ガンダキ地方にあったゴルカ王国はインド国境付近で東インド会社と戦争状態になり、3年の戦闘の末、負けてしまい、イギリスの保護国になってしまう。しかしその際のゴルカ兵の勇猛さが評価され、イギリス軍の先兵として多くの戦地で戦わされたのだという。

ムカつく話だが、それがあってネパールは完全な植民地にはならなかったらしい。

彼等はビルマで日本軍とも交戦しており、戦後、一部は占領軍として日本に駐留していたのだという。またネパール軍よりグルカ兵は給料も手厚く、ある種、成功例として憧れられていたというのだ。

バグルン郡はそのグルカ兵を多く輩出しており、海外で働くというイメージの定着に一役買っているということだ。

著者は最終章で実際にそのガンダキ州バグルン郡ガルコット村を訪れている。

とんでもなく牧歌的な、童話の世界の様な自給自足の村だという。だがこの村だけでなくネパール全体がそうなのだが、急増する出稼ぎのために限界集落化した地域が多くあり、かつては自給自足で成立していた生活は崩壊しつつある。また、そんな童話の世界からある日突然日本に呼ばれ、途方に暮れ、小さな心が折れてしまう子供たちも多く存在するのだ。

あそこやあそこのインネパ・カレー屋のカレー味にも、そういった涙の味も混ざっているということか。

そして日本におけるインネパ・カレー・ビジネスはすでに飽和点を超えているらしい。

移民を認めない方針の日本に見切りを付け、多くのネパール人が、英語圏であるアメリカ、カナダ、オーストラリアを目指し始めているのだそうだ。

ロスには既に日本経由のバグルン出身ネパール人のコミュニティがあるという。そりゃそうだ。日本入管の厳しい在留資格の更新に怯えるよりも、アメリカで子供を作ってしまえばその子はアメリカ人として認められるのだから。

と言った感じだ。更に詳しく興味深いインネパ問題が本書には書かれている。

いろんなことを感想を書かせてもらったが、、、

それでもやっぱり、何にせよ、例えそれが日本用カスマイズの成れの果ての味であっても、ナンお代わり自由で、あの赤い甘いドレッシングのかかったサラダと一緒にサーブされる1000円以内のカレー・ランチがもし無くなってしまったら、、、、、。はっきり言って困る。それは嫌だ。

自宅でミルク・ティーにカルダモンとシナモンとブラック・ペッパーを散らしてチャイを気取りながらそんな風に想う、5月の午後なのであった。

カレー移民の謎 日本を制覇する「インネパ」 (集英社新書) [ 室橋 裕和 ]

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